友達の形に縛られない生き方 〜気軽に話せる関係を楽しもう〜


考え方・価値観

学生のころは「友達が多い=いいこと」って思ってた。けど、大人になって気づいた。
“友達”って、形にしばられなくてもいいんじゃないかなって。

毎日連絡を取り合わなくても、たまに近況を話せる人がいればそれで十分。気をつかいすぎず、心が落ち着く関係なら、それで「友達」って呼んでもいいと思う。この記事では「友達の形にこだわらない生き方」をテーマに、気楽で、自分らしくいられる人間関係の考え方をお話しします。

友達の定義に縛られなくていい理由

私にも、学生時代からの友人がほんの数人だけいる。年に一回連絡するかどうか、会うのも数年ぶり。それでも、久しぶりに会えば話は弾むし、居心地も変わらない。多分、死ぬまでこのまま“友達”。

──でも、昔の私はまったく逆だった。高校時代は友達が多くて、休みの日は必ず誰かと遊びに出かけてた。ショッピング、カラオケ、放課後のおしゃべり。思い返せば、ほとんど私から誘ってた。朝起きて「誰かと遊びたい」って思うと、片っ端から電話してたんよね。

今思えば、あれは寂しさの裏返しやったんかもしれない。けど、そんなふうに始まった関係は大人になってひとつも残らなかった。27歳で結婚した頃には、もう誰とも繋がってなかった。高校時代は、今では私の“人間関係の黒歴史”。

その時期があったからこそ、「友達の数」より「自分が落ち着ける関係」を大事にしたいと思えるようになった。おかげで今は友達は少ない。でもその分、心の中のスペースに余裕がある。無理に埋めなくても、ちゃんと満たされてる感じ。

気軽に話せる関係を増やすコツ

大人になると、わざわざ「友達を作ろう」とは思わへん。それでも、不思議と“気が合う人”って、ちゃんと出てくる。

たとえば、職場でちょっとした雑談が盛り上がったときとか、SNSで「それ、わかる〜!」って共感した誰かとのやり取りとか。そういう小さなきっかけを少しだけ大切にしてみると、自然と気軽に話せる関係が増えていく。

私はいわゆる“ママ友”って呼ばれる関係、ひとりもいない。子どもが生まれる前から苦手意識があって、そのままここまで来たけど、それでも困ったことはない。代わりに、自分のペースで話せる人が少しだけいる。それで充分やと思ってる。

“友達になろう”なんて言葉にしなくても、一緒に笑えたら、それで十分。
「たまたま話したらなんか知らんけど楽しかったわ!」──そんな軽さでええと思う。

気が向いたときにちょっと話せる。近況を一言交わせる。そのくらいの距離感が、いちばん心地いい。

縛られない関係がもたらす心のゆとり

「友達なのに、なんで連絡くれへんの?」「私ばっかり気を使ってる気がする」──そんな気持ちになったこと、きっと誰にでもある。

でもね、関係に“縛り”を作ってしまうと、相手も自分もどんどんしんどくなっていく。昔の私は、“ちゃんと繋がっとかな”って思い込みが強かった。けど、連絡を取らない時間があっても、ふとした瞬間に思い出したり、再会したときに笑えたら、それで充分なんやって気づいた。

縛られない関係は、心に余白をくれる。「ちゃんと繋がってるけど、依存はしてない」という安心感。その距離感があるだけで、毎日が少し穏やかになる。一人の時間が増えても、寂しいわけじゃない。“自由”って、意外と心地いいもんやなって思う。

まとめ:自分らしい人間関係を楽しもう

“友達”って言葉に、正解はない。毎日連絡を取る人もいれば、年に一度しか会わへん人もいる。どっちもちゃんと「友達」やし、どっちも大事。

大切なのは、その関係の中で自分が無理してないかどうか。会ってホッとできるなら、それで充分。沈黙が気まずくないなら、それはもう上級者の関係。無理に予定を合わせなくても、「また話したいな」って思えるなら、もうそれでOK。

人間関係って、気を使いすぎると疲れるけど、ゆるく繋がってると意外と続くんよね。
“友達”って、頑張って作るもんちゃう。気づいたら隣におる、そんな存在でいい。

それくらいのゆるさで人と関われたら、さらに優しい気持ちで日々を過ごせる気がするんよね。

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